第5話

 村の中の道路は舗装してある。アスファルトではなくヨーロッパのような石畳である。村を出るとアスファルトへと変わった。ガイドさんが何か英語で説明してくれている。どうやら今走っている道が村の外で唯一舗装してある道らしい。その文明のありがたさを感じる道をひた走るボロワゴン。遠くに石のようなものが見えるたびに「モアイか?」と色めきたってみるが本当にただの石。

 分岐路に立つ「PUNA PAU」の標識を曲がるとそこは未舗装道。いよいよ最初のポイントに近づいたらしい。山の斜面の手前で車が止まり、ガイドさんが降りろと言う。なんだここは?ただの斜面じゃないか。そう思っているとみんながどんどん斜面を登って行く。登りきったところに広がる無数の巨大な赤い石。尾根に沿ってゴロゴロと転がっている。これらはPUKAOといいモアイの頭の上に乗っかっている帽子らしい。そう、ここはPUKAOの切りだし場だったところである。尾根に沿って歩いて行くと洞窟のような穴が口をあけている。ちょうどそこから切りだしていたらしい。
 それにしても大きい。MALの身長を優に越す大きさである。大体が3m近くあるらしい。こんなものをここから切り出してモアイの立っているところまで転がし、さらに立っているモアイの頭の上に載せたのである。古代に思いを馳せるよりも呆れる気持ちの方が大きかった。
 ちなみにこのPUKAOについて帽子の他に髪型(まげ)ではないか、という説もあるという。初めてこの島に西欧人が訪れた際、現地の人々は頭の上にまげを結っていたからである。でもまげには見えないと思うが・・・
 また、ここには「鳥人」が彫ってあるPUKAOも転がっていた。この島にはモアイと並び鳥人信仰の後も多数見ることが出来る。鳥人信仰とは何か?モアイの信仰が薄れてきた1700年代後半、今回の旅では訪れることが出来なかったORONGO村を中心に起こった信仰のことである。そして毎年ORONGOでは春の到来と共に、天地の創造神である「Make Make(マケマケ神)」の化身である「TANGA NUMA(怪鳥の顔と人間の胴体をもつ鳥人)」を決める儀式がORONGOの絶壁と海上に浮かぶ小さな島で繰り広げられたそうだ。
 そうこうしているうちにみんなが車に戻り始めていた。斜面を下りながらガイドさんとニセ英語を交わす。この彼女、結構若い印象を受けるのだが一体いくつか分からない。外人は日本人の年齢を当てるのがヘタだが、僕から言わせると日本人も外人も難しい。多分20代後半といった感じを受けるのだが・・・。今写真を見返してみると、横顔がマヤによくあるレリーフに感じが似ている。イースター島の人々はやはり中南米から渡ってきたのだろうか。この彼女は若干「探検ルック」っぽい印象の服を着ている。いまどき「○○ルック」という言い方すらしないだろうが。

 車に戻り次のエリアへと向かう。モアイに会える、という気持ちは最初は肩透かしを食らわされたが、じらされてこそ気分は盛り上がるものである。しかもPUKAOのあの大きさを見せられては期待せざるをえない。

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